Busideaの人気エントリー二つを読んで あるいは決して使ってはいけない言葉

なんとなく思うところがあるので、ちょこっと待合室でポスト。まず最初にお断りしておきますが長文です。えぇもうびっくりするぐらい。というわけで、心構えがある方のみ読み進めて下さい。大まかなテーマは嫌消費社会を語る人たちを笑おう、というような事です。

【社会】名無しの世代ですら、社⇄会を信頼していないという(今更過ぎる)話

 

まずは上のエントリーで紹介されている記事から。

消費しない20代が日本を滅ぼす!?(ダイヤモンド・オンライン)

 

はっきり言ってタイトルが壮絶な釣り。まず第一に若者は消費をしている。何にも買い物していないわけではない。ただ、既存の日本の産業製品を買っていないだけ。買ってもいないし、ありがたがってもいない。日本型産業製品のモノにはすでにステイタスとしての価値はほぼ無い。まずは、そこがポイント。
要するに今までの消費が単なる浪費になってしまった、とういことだ。

 

そして日本を滅ぼすというあおり文句だが、確かにそうだだろう。それは「既存の日本の社会システムの改変を促す」という文脈において正しい。

社会、特に資本主義社会において消費が必要な事は確かだ。モノを作る→売れない→企業の活動が縮小→仕事がない→お金がない→モノを買わない→企業の活動が・・・となってしまっては立ちゆかなくなる。経済活動は生産と消費でとりあえずは成り立っている。

 

ミニマムライフ世代

上田 なるほど。それではこの「ミニマムライフ世代」、いったいどんな特徴があるんでしょうか。ミニマムライフ 世代とは、1980年から88年生まれの20代を指しており、現在の日本にはこの世代が約1150万人います。全員がそうではありませんが、その上の世代 と比べて全般的にミニマムライフ的な価値観を共有しています。言い換えれば「縮み思考の世代」、英語なら「シュリンク世代」ですね。

彼らの価値観は「楽が一番」「傷つくのが嫌い」というもの。その一方で、「人生に手ごたえが欲しい」という相反する感情も持っています。無気力な 世代ではないですが、こういう思考は、まさに彼らが生きてきた時代背景に強く影響されているようです。

ちょうど1980年生まれの私はミニマムライフ世代のはしりといえそうです。記事中にこの世代の特徴があがっています。

1人生や生活を縛るものを持ちたくない

2「ラク」が一番

3傷つくのが怖い

4損をするのが嫌い

5人生に手応えを求めている

これってごくごく「普通」なんではないでしょうか。まさか我々より上の世代は「人生や生活をどんどんしばって、ラクすることは大嫌いで、傷つきたくてしょうがなくて、自ら損するように動いて、人生の手応えなんてなくてもOK」という風に生きておられるのでしょうか。いったいどんな人生なのか想像もつきません。

 

上に挙げた特徴は全て精神的なものです。人生や生活を縛るものを持ちたくないと思っても持つことはできます。ラクが一番でも、ラク以外の選択肢もとれます。傷つくのが怖くても行動を取ることはできまうす。損をするのが嫌いでも投資は始められます。人生に手応えを求めていてもやらなければらないことは例えイヤでもできます。

結局上に上げた世代の特徴っていったい何だろうという気がしてきます。ようするに「そういう風に見える」ということなんでしょうか。それとも明確な実験の産物なんでしょうか。どちらにせよ上のような分析はほとんど意味がありません。ある人は傷つくのが怖くて行動が取れないし、ある人は怖くてもそれを乗り越えられる。その差はどこから生まれるのか、という点に注目する方が賢明でしょう。

産業構造の変化

竹中 よい例が、「自動車の販売台数」です。ここ数年間で、新車、中古車とも目に見えて販売数が落ちて来ていま す。それに伴い、自動車雑誌も売れなくなりました。これは人口減少や都心回帰の影響もありますが、ミニマム世代の消費動向も少なからず反映されているはず です。

自動車だけでなく、消費者がお酒を買えば行政の収入になる「酒税」も、この5年間で2割近く、15%も減少しています。もちろん、発泡酒などの税 金が安いお酒の需要が増えている影響もありますが、やはりミニマムライフ世代の影響は無視できないでしょう。

ようするに産業構造に消費を合わせろという発想自体が破綻している、という事です。ただそれだけ。自動車が必要でないのに、自動車を作り続けている。そしてそれが日本の産業の中心になっているというのが唯一の問題であって、それを若者が消費しないという視点に置き換えるのはかなりいびつです。作ったモノを買って欲しければ買ってくれる国で売るしかないでしょう。この国の若い世代が車を求めていないならば、この国の車の産業は衰退産業というただそれだけです。今までが家電や車で産業を作ってきたからと言って、これからの産業が同様である必要はありません。

ただ、あまりにもそれを頼りにして経済規模を拡大してきたので、急な方向転換は難しくたぶん、バランスを崩してこけるところも出てくるということ。構造改革の痛みというのは本来こういった意味合いで使われるべきです。既存の産業から新しい産業へ労働者が移動する場合はかならずタイムラグが生じます。そこの間を支えるのがセーフティーネットでしょう。もし大きな構造の変換が目の前に迫っているならばBIの議論は真剣にされるべきです。すくなくとも、新しい産業が中心になるまでは日本は血を流し続けるでしょう。

でも、それが一つの国の「正しい」あり方でしょう。鉄工業や造船業、紡績業といったものが繁栄し、衰退していったように、ある時代の一つの産業が永続的に続くと考えることは過ちです。平家物語が紡がれた国でこんな当たり前のことが前提になっていないことに驚きを感じます。それは高度経済成長期の日本の姿があまりにも印象的だったからでしょうか。それともバブルはいまだに人の記憶から消えていないのでしょうか。とりあえず成功がもたらす失敗という一つの良い例でしょう。

 

サクセスストーリー

一番笑えたのが以下の部分。

竹中 そこで私が声を大にして言いたいことは、こういったミニマム世代の若者に「サクセスストーリーをぜひとも経験し てもらいたい」ということです。

これに続くのが以下。

でも、イケイケドンドンとは行かないまでも、やはりいくつかの成功体験を積み重ねて行くうちに、「自分はもっと行けるはずだ」「自分はもっと色々なこと ができるはずだ」という気持ちになれるはず。そうなると、消費に対して前向きな思考が出て来ます。ミニマム世代の人たちは、これまでの人生でそういう経験 がなかったんですね。

なんじゃらほい、という感じ。ようするにいろいろやってみて自分たちの世代のようにどんどん消費しなさい、というスゴイありがたいアドバイスです。ようするに「自分たちのルールに乗っかれ」ということ。このルールを否定しているの人たちが若者の中にたくさんいるという現実を知らないのか見て見ぬふりしているのかは知りませんが、まったく意味のないアドバイスには違いありません。もうちょっと続きます。

対照的なのが団塊世代です。仕事をやればやるほど給料も上がったし、競争は大変だったけど、それなりのリターンもあった。サクセスストーリーが豊富だっ たんですね。だから、今のおじさんやおばさんを見ると、若者と比べてすごく元気です。そういった意味でも、若者に色々なサクセスストーリーを経験して欲し い。

団塊の世代の給与アップはまさに終身雇用、年功序列が生み出してきたものでしょう。たいした仕事もしていないのにただ長い間会社にいたから、という理由だけで給料が上がっていく構造。もちろん一人のサラリーマンからみれば、入社当初は安い給料でこき使われ、定年まで会社にいることでペイできる給与体系と言えます。会社に残っている人々は「当然の権利」と考えているでしょう。

しかし、一つの会社という事で見れば、この給与体系は規模が右肩上がりしている間しか続けられません。入ってくる人が増えるほど、後になって人件費は増大していきます。ポストも必要です。もしある時点で売上が減少方向に進めば、あまりにもばからしいほどの「高齢者向け」人件費が会社の方に重くのしかかる、というわけです。もちろん、簡単に首を切ることはできません。結局、新規で採用する人員を押さえるという形になります。

日本の若者の雇用を巡る問題は、この「終身雇用・年功序列」の遺産と人材流動性の低さの二つの点から生まれています。制度的に恵まれていた世代を「サクセスストーリー」と表現するのはいささか軽率ではないかと思います。

今日のR-styleの方でも書きましたが、過去の「成功」など現代の文脈では意味を持ちません。サクセスストーリーなど存在しないといっても過言ではないのです。

その経験の場はやはり企業の職場です。企業も重要な仕事に若者をどんどん登用して行くべきだし、その中で前向きな思考を持った若いリーダーがどんどん出 てくればよいと思います。

このアドバイスはもっともです。しかしそのためには今重要な仕事をしている「高齢者」をその場所から移動させる必要があります。そんなことが可能なのでしょうか。そしてその人達は何をすればいいのでしょうか。すでに既存の日本社会の構造と、今の若者たちの志向性はズレていると思います。むりやり同じ土俵に乗っける必要はないでしょう。おそらくお互いに苦労するだけです。

続いて上田さんの発言より引用。

上田 なるほど。彼らは、おカネを稼いだり使うことによって得られる喜びを、まだそれほど経験していないんで しょうね。そんな彼らに対して、僕があえて提言させてもらうとすれば、「世の中のためにおカネを使え」ということでしょうか。

ミニマムライフ世代は、人生に手ごたえを求めている世代でもあり、ボランティアなどに非常に興味を持っています。お酒を飲んだり車を買ったりしな くても、意義や目的のあることにはおカネを使う傾向があります。

そういうところに意義を見出せるなら、直接的な消費でなくても構わないんじゃないか。たとえば、子供の将来や地球環境のためにおカネを使ってもら うのも、立派な消費です。それは、巡り巡って自分の将来の「備え」になる場合も多いと思います。

そうですね。まさにその通りです。お酒を飲んだり車をかったりしない消費の形はあります。そしてそれをどんどん推奨すればアサヒとトヨタは倒産するでしょう。

※もちろん冗談です。シェアを海外に伸ばせば倒産はしません。

重要なのは今までの「大人たち」が望んでいる社会のあり方と、若者の多くが望むそれとは違った形をしている、ということ。この文脈を前提にしない議論は価値観の押し付け合いになりがちです。

 

さて、では戻ります。エントリーはこちら。

【社会】名無しの世代ですら、社⇄会を信頼していないという(今更過ぎる)話

 

エントリー全体としては納得できる。しかし引っかかったのは以下の文章。

だからこそ、私たちの実感として、社会を100%信じ切って身を投じられるほどそこに余裕も信頼もなかったんです。今もありません。来年就職できないかも しれない。出来たとしても首を切られるかもしれない。現状のシステムが変わらない限りは、人数の多い上の世代を支えざるを得ない。こんな風では、大幅な収 入アップなんて期待薄だ。現実的な判断でしょう?こんな状態で、逆に「今がチャンスだ」と思う変人の道行きはふたつです。ひとにぎりの天才と、大勢の愚か 者。

私は自分の感覚として「社会を信じる」というのがどういう状況なのか一切理解できません。昔も今も社会を信用したことなど一度ありません。そして他の人が社会を信用しているとも考えたこともないです。そもそも社会は信用するものではないと思っています。それは参加するものです。それは一種の共通のルールに基づいて進められるゲームのようなもの、そんな感覚をもっています。そのルールが信用できない、という表現なら理解できます。確かに既存の社会のルールはもはや信憑性など皆無です。でもルールが一つだけという決まりはありません。むしろ既存のルールが機能していない現在、新しいルールでゲームを始める「チャンス」だと思っています。

ようするに、今までのルールに乗っかるのは愚の骨頂だけども、新しいルールでゲームを始めるならばまたとない機会。そうではないでしょうか。既存の社会のあり方が正しいなんて証拠はどこにもありません。上の世代がエライということもないし、学者が正しい事をいっているとも限りません(特に経済学者)。

だというのに、懸命にに生きている人たちのことを亡国論の主犯に仕立て上げ、あまつさえお門違いのアドバイスまで押しつけてくる言説が世の中に当たり前の ようにはびこっていること、本当に腹立たしく感じます。いや、もちろん分かってますよ?お金をもっと使って欲しい人からの要請で書いているんだろうってこ とは。企業や国の収入は、そうしなくちゃ増えないもんね。

とおっしゃっておられます。でもそんな「言論」ってはびっこってますか?僕自身こうやって記事を紹介されないとまったく知ることもなかったでしょう。そして、いま新聞を読まない世代はこういった「言論」の世界からは意図的であるにしろ無意識であるにしろ距離を置いていると思います。そういう人たちが何を言っているか知らなければ、無いのも同然です。「東のエデン」で描かれていた世界観はまさにそういったものを表現していると思います。多分、両方の世代の狭間に立ってしまうととんでもない重圧感があるでしょう。でも今の若者は、割合しれっと生きている人たちが多いと思います。

「あんた達の言ってることは耳に入らない」

上の世代が的外れなことを言えば言うほど、この乖離は拡がっていくのでしょう。言論がマスで無くなってきている背景も関係していると思います。

企業や国の収入は増えて然るべきです。でもその企業は「既存の企業」である必要はどこにもありません。これから生まれる企業が新しい消費にあった形で成長していけばよいだけです。

あともう一つ引っかかったのが以下の部分。

そして、私個人として願っていることは、これ以上私たちにまとわりつかないでほしい、ということです。もはや、私たちや私たちに近い世代全員を助けろとは 言わない。ただ、バブルという海溝の向こう側にいながら、私たちを『若者亡国論』の首謀者に仕立て上げようとするその企みを再生産しないでほしい。あなた たちが私たちを勝手に分類し、ラベリングして貶め、過度な期待=重荷を負わせ、役立たないアドバイスを押しつけないでほしい。そういう言説を読む度に私は えらくしんどい気分になってしまって、たまにはこういう質の怒りをはっきり表明しておきたいと思いました。

まず先にも述べましたがまとわりつくと感じているのはその言論に接しているから。気にしなければどうということはありません。これはホントに。あと、「世代を助けるという発想」はすでに死んでいます。この国には昔から今に至るまで世代を救う力などありません。そもそも国家にはそんな機能はないのかもしれません。突き詰めて言えば、国家は国防と外交の機能がメインだし、国家内で言えば利害調整をセッティングしているだけです。要するにお金をあっちからこっちに流すだけ。それは世代間なのか地域都市部なのかという違いはあるにしろ何一つ富を生み出したりはしていません。

そもそも助けるというのがどういった行為なのか判然としません。基本的に人は自分の力で生きていくしかない。この国で生きるということはこの国のあり方に対して責任を持つということ。それが国民主権の意味です。この国のあり方がイヤで政治的な責任など負いたくないというならば、この国から出て行けばいいのです。非常に簡単です。日本人だからといって日本という国で人生を全うしなければいけないなどと決められているわけではありません。

再び「東のエデン」ですが、あの作品で「ニートはこの国に対する一種のテロ行為」というような台詞が出てきました。あれは痛快な皮肉ですが真実の一面でもあります。もし、この国から2000万人以上の若者がこの国から「脱走」したら・・・さぞかし上の世代はあわてふためくことでしょう。そうなれば海外からの移民を全面的に受け入れる必要が出てくるでしょう。おそらくそうならないと、上の世代に危機感は伝わらないと思います。

私は嫌消費とか若者の消費意欲を単純に非難する人を見ると「あぁ~バカなんだなぁ~」と思うようにしています。それは知識が豊富とか、頭の回転が速いということとは別の文脈においてバカだな、と思うわけです。そう思えばそういう人たちの言うことなど綺麗に流せます。

実際若者が既存の消費にNoを突きつけているのは、構造を変化させないとどうなるかわからないよ、という暗黙のメッセージのような気がしています。そういうメッセージを「知らんぷり」することは愚か以外の何者でもありません。

-----------------------------------Coffee Break!----------------------------------------------

ちょっと長くなってきたので、一端休憩。もちろん、私は今のシステムのあり方に疑問を持っています。間違いなく間違っているという確信もあります。でもそれはそれとして、今私たちがどのように生きるべきなのかはきちんと考えていく必要があるでしょう。どうすれば「充実した人生を送れるのか」というのは申し訳ないかもしれませんが、上の世代が考えてこなかった、考える必要もなかった、考えることができなかった問題です。

重圧を受けたり、周りを気にしたり生きるのは結構しんどいので、どうやったら「ラク」に生きられるか考えてしまうのが「ミニマムライフ世代」の特徴でしょうか(笑)

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さて、まだ続きます。

続き的なエントリー

【社会】今からそいつを これからそいつを 殴りに行く前に知らなくてはいけない話

 

私は、前回の文章の中で『それに、若者から無理して搾り取るんではなくて、タンスの奥から引っ張り出してきたほうが、よほど金額としては 大きくなると思いますよ。本当に、ええ。』と書きました。これについて、ちょっと補足させてください。私は、この一文を”使 われずに眠っているお金を引っ張り出したほうが元々細い若者の消費を高揚させるよりお金が集まるんじゃないか”という意図で書いただけ で、特別高齢者だけから取り上げろ、という認識で書いていませんでした。言葉足らずですみません。(結果的に、高齢者から集まる金額は多くなるだろうけど ね)

若者からむしり取る、という表現はいささか厳しいものがありますが、まあ言いたいことは理解でいます。ただ、「タンスの奥」から引っ張り出してくるというやり方ではどうしようもありません。いくつか指摘するポイントはありますが、一つはそのお金が一過性のものでしかないと言う点。もう一つがあまりにも金額が少ない、と言う点です。

タンス預金が一過性のモノであるというのは説明するまでもないでしょう。一回使えば終わり。じゃあそれを仮にみんなが買い物したとします。でそれが企業の利益になって・・・はて若者にそれが回ってくるでしょうか。先ほども書きましたが、日本企業の上の世代の給料はとんでもなく高いです。もちろん家を買ったり新車を買ったり子ども大学に行かせたりと、日本の消費を支えるための給料なワケですが、高いことは確かです。順番から言うと、こういう人にお金が入ってしまう構造がまだ日本社会にはあるわけです。

だから、27兆円を買い物に使っても基本的に若者にお金が回る量はかなり少ないでしょうし、上の世代が逃げきりしか考えていなければまったく回ってこないかも知れません。「君たちは徐々に給料が上がっていくんだ」なんてね。10年後に倒産しても、その間に十分な退職金をもらっている人たちの中に自分が含まれていればOK的な。

要するに経済というのはお金が回っていること。もし、上の世代が貯えているお金を一斉に使っても、それが流れ込む先が上の世代ならばきっとまた停滞することでしょう。だからあんまり意味はない。それにこれは既存の企業を延命させるだけになってしまう。たくさんの倒産がある日本ですが、それでも「必要ない」企業はまだまだあるでしょう。そういった企業から新しい産業を担う企業へとお金を流さないと状況は変わりません。

あと、金額に関してですが、27兆円は確かに大金ですが(本当にそれだけのお金が眠っていたとしてですが)、例えば日本国債の残高と比較すると絶望的なまでに少額です。個のお金では国を綺麗な身体にすることもできません。せいぜい一つが二つの産業の継続的かつ大規模なインフラ投資が良いところでしょう。もちろん、作るためだけに作る道路という使い方は厳禁です。新しい消費者に向けた産業への投資。しかし、それだと肝心の高齢者にメリットがありません。形的には大規模なVCに近いものを作ってしまうのがよいかもしれません。まあそんなVCもどきにお金を出す人がいれば個の国はもっと前から違った形になっているでしょうけども。

 

ながながと書いてきましたが、実は一点だけ本当に書きたいことがあります。

ただ、言葉で誰かを殴るとき、少しだけ振り返って考えてみてくれると嬉しいな、と思った。その言葉で臓腑をえぐりたい相手は、本当にそいつらなんだろう か。似た服を着た見間違いではないだろうか。本当にその人こそが理解しあえない敵だろうか。相手はどういう事情で、私を苦しめたんだろうか。

わたしは普通に生活している人間が絶対に使うべきではないと考えている言葉があります。それが「敵」という言葉です。言葉は思考を鋳型にはめます。そして敵という言葉を使った瞬間から思考停止は始まります。敵と言う言葉は戦争という極限状態においてのみ存在しうる言葉です。戦場に存在する兵士は自分が生き残るためにいちいち「相手がどんな性格の人で、どんな事情でこの戦争に参加して、故郷にはどんな家族がいるんだろう」などとトリガーを引く前に考えたりはしません。むしろ、そういった事を避けるために同じ人類という種を「敵」として思考から排除します。

「敵」というレッテルは非常に便利で強力です。その言葉を使えば対話する努力から解放されます。無慈悲に駆逐することが「正義」になります。でも、それは決して一般的な生活で使うべき言葉ではありません。その言葉が引き起こす思考停止は悲しみと憎しみ以外なにも生み出しません。

 

とまあ、長々とかつまとまり無く書いてきました。日曜日のこんな時間にこんな文章を最後まで読まれる方はまったくおられないと思いますが、もし最後までお読みいただいたからがおられれば「ありがとうございます」と述べてきます。

あとbusideaさん。長文お疲れ様でした。意見を述べるというのはなかなか大変ですが、それだけに意味は大きいと思います。結構啓発されました。ありがとうございます。