NozbeのMacクライアントがリリースされました

今日、Nozbeデスクトップ Mac版&Windows版がリリースされました! ぜひダウンロードを。

 

というわけで、Nozbeのwin&Macのクライアントアプリが登場しました。

 

Nozbeのデスクトップアプリ正式版がリリースされました(このまま一生β版)

 

あたりが、参考になるかもしれません。

 

操作感覚はウェブアプリと似ています。機能的に完全とは言えませんが、ブラウザを使わなくても、操作できるというのはある種の魅力です。まあ、無料ですので、Nozbe使っている人は、とりあえずダウンロードしておいてもよいでしょう。

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影響を受けたというかなんというか 「私が影響を受けた・ハマった5つのゲーム #5games」を読んで

はてなブックマーク - 私が影響を受けた・ハマった5つのゲーム #5games

Videogames and exercise
Videogames and exercise / Jinx!

以前@氏が以下のようなエントリーを書いていました。

私の中で「ゲーム」というとテレビゲームだけには限定されませんね。ちょっと趣旨から外れそうなんで、待合室で書いておきましょう

1.麻雀

中学時代からやってます。大げさな表現ですが、自分の人生観に影響を与えたと言っても過言ではありません。

2.Magic the Gathering

えぇ、もういくら使ったかわかりません。家には一万枚ぐらいのカードが眠っていると思います。

私の英単語の知識の大部分はこのゲームから来ている、というのは大げさですが、英語版のカードを読むために、英語辞書と仲良くなった記憶はあります。

3.スパロボシリーズ

振り返ってみると、ガンダムシリーズを一からチェックしたのはこのゲームによる影響なんではないかと思います。リアルタイムだとWとかでしたから・・・。

基本的にνガンダムが出てきたら、まっさきに最高値まで改造して無双します。

4.ぷよぷよシリーズ

2が好きです。3以降はちょっとついて行けない感じ。パズルゲームはいろいろやりますが、寝食忘れて「とことんぷよぷよ」をしたのは、このゲームぐらいでしょう。

5.餓狼伝説Special
この時代のカクゲーもけっこうやりこんでました。CDではないネオジオ本体持ってたぐらいです。ダック・キングが好きですね(投げキャラ好き)。

割合というか、かなりゲームっ子なので、数え上げれば切りがありません。

最近?

最近は、もうボーダーブレイクぐらいしかまともにやってません。万年SAルーパーですが。

自分なりにゲームを考えてみた 「「アイデアトランプ」: 石井力重の活動報告」を読んで

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とある企業の創造技法研修の開発を依頼されているのですが、あと一歩、アイデアが足りない、欲しい、というところにいたので、一人ブレストをずっとしていました。

なんというか、こういう商品好きです。

単純に「発想力を鍛える」という部分も好きですが、むしろ、このアイデアトランプを使った「ゲーム」を考えるのが、私の嗜好にマッチしています。

基本として「クイックドロー」と「発想ババぬき」という二つのゲームが準備されていますが、通常のトランプと同様に、その他のゲームを創り出すことも十分可能でしょう。
※基本の二つは http://www.ideaplant.jp/products/ideatrump/use.html

シンプルなものを土台にして、自分なりのゲームを創る。

こういうのが好き、ということですね。

いま手元にないんで、どんなフレーズが並んでいるのかはわかりませんが、いくつかの写真からある程度想像することはできます。

で、それを基にして自分なりにゲームのルールを考えるとどんなものが出てくるでしょうか。

例えば対戦型ゲーム。

まず、5つぐらいの「お題」を予め準備しておきます。考えるテーマですね。できるだけバラエティーに富んだ内容が良いでしょう(政治から日常まで)。

でもって、トランプを配ります。伏せたまま。それが手札になります。でもって、それが攻撃カードです。

で一回線。一枚目のお題カードを見て、「発想が難しいだろうな」と思うカードを手札から選んで、場に出します。15秒で相手がそれに適したアイデアを出せなければ、アタック成功。相手はライフを失います。

でもって、同じお題で今度は相手からの攻撃。

それを繰り返していく。という方法です。

基本的にアイデアは競争ではなく、共創ですが、あえて競争風味にしてみました。

もう一つ考えたのが「花札」型のゲーム。

場に「お題カード」を並べて、それに手札のアイデアトランプを重ねる。ぴったりしたアイデアが出せたら、その札をゲットする。お題カードの組み合わせで役が出来て、その結果を競う、というノリ。

もうちょっと、いろいろ考えたいですが、そろそろ連れ合いを向かいに行くので、今日はここまで。また思いついたらいろいろ書いてみましょう。

ストイックさ 「「いい」努力と「悪い」努力 - めざせ!へなちょこ脱出」を読んで

努力は是か非かという議論もネットで見かけますが、私は努力には「いい努力」と「悪い努力」があると考えています。いい努力はどんどんした方がいいけれど、悪い努力はしない方がマシ。今日は私なりの善し悪しの見分け方をご紹介します。

個人的にこの記事でいう「いい努力」をしている人って、自分で「努力している」という風には思っていないんじゃないかな、という気がします。

なんとなく、自分が好きでやっていることを追求しているだけ、という感覚。

私も結構「ストイックですね」と言われますし、客観的に見るとストイック扱いされるのも十分理解できるんですが、努力家、というような感覚は持ち合わせていません。

たとえば、ドラクエやっていて、ダンジョン攻略するためにスライムを倒してレベルを上げている人を見て「ストイックですね」とは言わないですよね、あんまり。レベルを上げる努力をしているというよりは、レベルを上げる行為そのものがゲームに含まれている、という感じでしょう。

私なんかも、そういう感覚で、自分でハードル設定して、それをクリアするというのが好きです。それは、言葉にすれば「向上心」ということになるんですが、感覚で言うと、それほどたいそうなものではない気がします。

ようは、自分が納得できる、楽しめるための一つの方法、という感じ。

たぶん、世界中の誰も褒めてくれなくてもついついやってしまうこと。あるいは、価値観が変転したアナザーワールドで、他の人に「それ、やめときなよ」と制止されたとしても、結局やってしまうこと。

そういうのが、(ある意味で)健全な努力なんではないかなと思います。

良し悪しはおいといて 「ユニクロ「究極」の通年採用 1年生から内々定 +(1/2ページ) - MSN産経ニュース」を読んで

来年春入社以降の採用活動から、新卒・既卒、国籍を問わずいつでも応募できる通年採用に移行するカジュアル衣料チェーンのユニクロが3日、東京・赤坂の東京ミッドタウンホールで入社希望者向け会社説明会「ユニクロ希望塾」を開いた。通年採用制度は大学1年生でも事実上の「内々定」を得ることができるだけに、関係者からは賛否両論が出ている。

この動きは賛否両論あるだろうと思う。記事から引用し、ちょっとだけ考えてみよう。

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適性検査を経た後、インターンシップか数カ月のアルバイトを経験。そこで評価が高ければ、いつでも最終面接に進める「パスポート」がもらえる。1、2年生でも最終面接に受かれば「内々定」扱いとなる。
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まず、これ。適性検査はある程度簡単にパスできるかもしれないが、数ヶ月のアルバイトこれが相当に困難だと思う。

記事を注意深く読めば、ユニクロで数ヶ月アルバイトをすればそれだけで最終面接へのパスポートが手に入るわけではない。あくまで「評価が高ければ」という但し書きがある。

ユニクロで買い物をしたことある方ならばご存じだろうが、ユニクロのスタッフの平均的な接客レベルは非常に高い。一応長年接客業を生業としてきた人間からみても、心地よいすがすがしい接客ができる人が多い(全て、とは言い切れない)。

当然、そういう人たちにもまれながら仕事を続けなければならない。評価もどうようの視点から下されるだろう。

おそらくこの段階で接客特性というか、そういうスキルがない人は大半ふるい落とされる。

大きな声で言うことかどうかはわからないが、個人的にはユニクロのスタッフであり続けられる人は、ユニクロの理念に共感でき、意欲的に接客が行え、衣服に関心が少し以上ある、というタイプだろう。そうでない人がああいう仕事についても最終的には不幸になるだけだろう。

少なくともアルバイトの段階で、「あぁ、ここ無理だ」と分かることは学生的にも良いことなのではないかと思う。もちろん、「ここで、働きたい」という人は大学生活中に英語の勉強や経済や流通の勉強に関心を持つだろう。漠然とした4年間は過ごさない(と思う)。

印象的なのが、次の大学生の二人の声だ。

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説明会に参加した拓殖大1年の阿部雄哉さん(19)は「自分はユニクロに就職したいという気持ちが既に決まっている。いい制度ができた」と歓迎。早稲田大1年の土屋芽以さん(19)は「就職活動は厳しい状況なので早めに動きたい」と話していた。
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真逆とは言わないが、温度差の感じられるコメントである。まあ記事作成者が意図的にチョイスしたのだろう。

目を輝かせながら、「ここで働きたい」と思う人にとってはありがたい制度だろう。その理念が最後まで続くにせよ、働く中で変わるにせよ、インターンで現場を体験するのは非常に良いことだ。特にユニクロみたいなところは、全体の中でも店舗に関わる人は今後相当増えてくるだろうし、現場の空気を知った上で、「ここで働くかどうか」を決められるのはクーリングオフ制度みたいなものである。

逆に、そういう理念なしに「就職しなければ」と考えている人にとっては、単なる就職活動の早期化でしかない。これでは学業に差し支える、と言われても仕方ない。

ここら辺に差が眠っているのだ。

しかし、現状の形がどうあれ、長期的に考えれば、現在の日本の形骸化している(ような気がする)インターンシップではなくて、実際に職場で働いてみてから、「ここで働きたい」と決められる形が学生に提供されているのが良いと思う。これについてはまた別の機会に書くとしよう。

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 一方でこの制度は究極の「青田買い」であり、在学中に仕事を覚えさせることには「学業の妨げになる」といった批判も根強い。
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就職活動の早期化というのが問題になるとしても、在学中に仕事を覚えさせること」はまったく学業の妨げにはならないと思う。そもそもアルバイトしていれば、何かしら仕事を覚える事柄は発生するのだ。それとも学生はアルバイトすべきではない、とでも言うのだろうが。

あと、もう一つ言えることは、「社会人になってみて、もっと勉強しておきたかった」という人が多いことだ。実際会社を辞めて大学に入りなおす人もいる。その気持ちはよく分かる。社会に出て、責任ある仕事を回すようになってくると、自分の知識のなさが痛感される。「もっと、勉強しておきたかった」と思うのだ。そう真摯に思えたとき、人の心はよりよく学べるようになる。

もし、就職すること(つまり内定をもらえること)をゴールだと捉えている学生は、大学の授業も卒業できる程度、ぐらいしかしないだろう。

しかし、どこかの会社にポジションを持つことをスタートと考えている人間は、きっといろいろなことをどん欲に学ぶ。それは単純に学業に邁進する、ということだけを含むものではない。言い換えれば目つきが変わる、ということだ。

そういう擬似的に社会に身を置くというのは、大学生活にとっても良いことではないかと思う。

それに、ユニクロの内定もらったから、あとは大学生活適当に暮らそう、と思う人はきっと面接そのものをパスできないような気がする。この辺は私の勝手な印象にすぎないが。

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  リクルートエージェントの海老原嗣生フェローは「優秀な上に実務で鍛えられた学生なら、いくらでも人気企業に合格できる。引き止めに手間取るだろう」とデメリットも指摘する。
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この場合の「優秀」が一体何を意味しているのかが私にはわからないので、これが正しいのかどうかはわからない。確かに実務で鍛えられた学生は、企業受けが良いだろう。それはユニクロに限ったことではない。アルバイトにもいろいろあるから、それに近い現場体験ができるアルバイトやNPO活動などいろいろあるだろう。

ようはこういうことだろう。ユニクロが内々定を出すのは、「学業ができて、人当たりも良く、知識も豊富・・・」といった「優秀さ」を持つ学生なのか、それとも「この人はユニクロの理念と同じ方向を向いてくれる」という学生なのか。これがどちらかで他の企業の動きは変わってくるだろう。

前者のような学生なら、他の企業に勤める可能性がある。その学生にとっては「別にユニクロである必要性」はどこにもない。しかし、後者の場合は「ユニクロという企業ではないとダメ」という気持ちがあるだろう。こういうのは他の企業に引き抜くのって難しい気がする。

正直言って会社の面接程度で「御社の理念にうんぬん」と言うことは誰にでもできる。でも、数ヶ月間実際の店舗で働くと、そいうのはすぐにぼろがでる。逆もまたしかりで、スタッフとして働くことで、企業が社員をどのように扱っているのかを垣間見ることもできる。私はとある業界の社員にはぜったいならない、と頑なに誓っているが、それも「どのような扱いを受けているか」を知っているからだ。

ユニクロのこの動きは、確実にその他の企業にも波及するだろう。その波及がもたらすモノが良いものになるのか、ならないのかは私にはわからない。ある意味では企業の採用の制度と、学生の何かが問われているのだとも言える。

しかしながら、ユニクロのような実際の店舗を持つ企業の場合であれば、アルバイトで働いてもらって、お互いを確認して合ってから、じゃあ採用を決めましょう、というのはすごくまっとうな気がする。すくなくとも、会社のブランド名だけに惹かれて、就職してみたものの、「こんなはずじゃなかった・・・」が多数発生することに比べれば、ずいぶんマシな気がする。

スピンオフのさらにスピンオフ 「【書き物】「旅立ちの日~the King side~」 — Tanakamp的ヒトコト。」を連れ合いが読んで

【書き物】「旅立ちの日~the King side~」


R-style » 「旅立ちの日」
所持金と装備 …

「そなたは、この国の希望じゃ。そなたが背負った使命は大きい。見事魔王を打ち倒してみせよ」

若い王はそう言って、この国が持っている財力からみれば、なくなったところで痛くもかゆくもない程度の金と装備を「勇者」に渡した。

「勇者」が城を去ったあと、若い王は大臣を呼び出し、耳打ちした。

「やっとこの時がきた。私はようやく解放されるのだ。」大臣が下がったあと、王はそうつぶやいた。

あいつはこの国にいてもらってはこまる。消えてもらわないとこまる。

「勇者」には旅に出てもらい、道半ばで死んでもらう。それが本当の目的だった。

若い王にとって「魔王」はすなわち「勇者」であったのだ。

若い王の思惑通り、勇者は魔王を倒すための徹底的な情報収集を始めた。その情報はすべてこちらが準備したものであった。「勇者」が怪しまないように、細心の注意をはらって、情報を小出しにするよう下々の者達に命じた。

唯一、若い王の思惑通りにいかなかったことがある。「勇者」が旅に出なかったのである。

若い王は後悔した。「情報を与えすぎた。」

そして若い王は国の中に「魔王」がいるという心労・プレッシャーを抱え続け、「勇者」が生涯を終えるよりもずっと早くに死んだ。

引用記事は、私のショート・ショートのスピンオフのお話。

で、それを読んでうちの連れ合い(@rashita0905)がインスパイアされて書いたお話が以下。

旅立ちの日 大臣編

「王様、何やら不吉な気配が漂っております。」
おもむろに占い師はそう言った。
「この国で今年成人する者の中に、魔の存在がいるに違いありませぬ。」

王様は愕然とした。
先代の王が急に亡くなって、心構えもないうちに無理やり王の座に据えられてしまってから、まだ半年しかたたない。
(だから嫌だったんだ…。)
若い王は心の中でそう思った。
「それはどの者か分かっておるのか?」

「いえ…。しかし、湖の方角から怪しい気配が…。」
占い師は言葉をつまらせながらそう言った。

「そこまでわかれば十分だ。大臣、あとは頼んだぞ。」
若い王は急いで謁見の間を出て行った。

「上手くいきましたな。」大臣は占い師にむかって言った。
「息子さえいなくなれば、あとは…。ふっふっふっ。」

そう、大臣は勇者の母親のことが好きだったのだ。

「しかし、王様にバレたりしないでしょうか。」
占い師は少しビビっていた。

「なあに、あの坊っちゃんは若い娘の尻を追いかけるのに忙しそうだからな~。はっはっはっ。」

そして大臣の思惑通りに事は進み、王様は勇者を呼び出し、勇者は旅に出た。

…はずだった。 勇者は末長く母親と仲良く暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。

現実感ということについて→「【雑感】「なりたいもの」「就きたい職業」その先のライフスタイルは? | Find the meaning of my life.」を読んで

何かに怯えているようにも見えます。もし就社できなかったら・・・何に恐怖を感じているのでしょう?別に人生が「閉店ガラガラ」となるわけでもないでしょうに。23歳や24歳くらいの若者なら、成功するかはわかりませんが、何をやったって(借金が無ければ)最低限食べて行くことくらいできそうに感じますし、可能性は沢山沢山ありそうなのに。

何かに怯えている、恐怖感を感じている、そういう感覚は私も感じます。

その恐怖心が「正当」なものであるかどうかは、今は問題にしません。確かに、就社できなくても、食いっぱぐれることはありません。私も今に至るまで「就職活動」というのを(ほとんど)やったことがありません。それでも、(夫婦共働きとは言え)なんとか生きています。

でも、それは私にとっての「現実」です。

何かに怯えている(かのように感じられる)人たちの「現実」ではありません。

おそらく、生きてきた過程の中で、あまりにも「マニュアル」が多かったのではないか、そんな気がします。ゲームにしろ学校の勉強にしろ、「誰かが整えた道をあるていく」ということがほとんどだったはずです。

そういう環境に慣れ親しんでいれば、「何をやっても良い」という自由は、開放感よりも、むしろ不安定感の方が強くなるのではないでしょうか。

それに、会社勤めしていない苦労している人達がテレビで取り上げられ、会社つとめしている大人も、必死にそこにしがみつこうとしている。

ロールモデルとして、「新卒で会社員にならなくても、まぁ生きていけるよ」と気楽に提示する人がきっとまわりに少ないんじゃないだろうか、そんな気がします。あくまで気がするだけですが。

基本的に、その人の「現実」の認識が、その行動を生み出します。

ある人から見たら真っ平らな地面が、別の人から見たら、高層ビルの上に敷かれた細い鉄筋として「認識」されることもあり得ます。

こういうのは「正しい」とか「間違っている」ということではなくて、どのような「認識」をその人が持っているのか、そしてそれをどう変化させるのか、ということに注力しなければいけません。

情報化社会と言われていますが、それが必ずしも「自由」につながっているわけではないのかもしれません。

情報がクラスタ化して、固定的な「現実感覚」が強まっている傾向もあるでしょう。そういう壁はなかなか乗り越えにくいものです。

敷居を超える、分野をつなぐ、何かしらそういう発信が必要なんだろうな、と思う今日この頃です。

ちょっとツッコミ的な →「【落書き】人が目標に到達するための5要素 | 想造ノート」を読んで

レールとルールとロールとツールとゴールSun Oct 16 13:44:36 via Tweetbot for iPhone

 

というのをツイートして、ふと「これってもしかして人が目標に到達するための重要な要素なんじゃないかな…?」と思い、ちょっと落書きしてました。

で、出来たイラストがこちら。

ここまで考えたら、次はどのように配置するかを考えたいところ。

つまり、順番であったり、実際にどのようにそれを作るのか設定するのか、というはなし。これらが全て同じレイヤーに並ぶのか、それとも上下関係があるのかははっきりさせておきたいところ。

個人的には、

・ロール
・ルール
・ツール

の3つがあれば十分かなと考えている。ちなみにこれは編集者の松岡正剛氏が『知の編集術』で上げられているのとまったく重なる。

「目標に到達するため」なのだから、ゴールがあるのは当然なので、とりあえずは書かない。あと、ルールとロールが定まれば、ルールは自ずと導かれるので、それもあえては入れない。副産物的に出来るものだから。

でもまあ、とりあえずはドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読めば良いんじゃないかと思う。大切なことはだいたい書いてある。 

コンテンツ的には、5つの要素を汎用化できるならば、一つのまとまったコンテンツにできるかもしれない。仕事や生活において、この5つがどのように役立つのか、という切り口で。

まあ、ちょっと思い付いたから書いてみただけ。

答えてみた 「どんな体勢でノートを取っていますか? - めざせ!へなちょこ脱出」を読んで

[]どんな体勢でノートを取っていますか?Add Star

自分のアイデア・思考をノートに書き留めることを実践されている方に質問です。

  1. 普段、どんな体勢でメモを取っていますか?
  2. そのときどんなノートを使っていますか?
  3. メモを取るときに困っていることはありますか?

1&2.普段は歩いている時、机の上、PC作業中の3つが多いですね。
胸ポケットにはメモ帳、ズボンのポケットにはiPhoneが忍ばせてあるので、メモできるものは常に存在しています。
ある程度厚みのあるメモ帳だと、歩きながらでもへちゃらです。もちろん、iPhoneでも(さすがに立ち止まりますが)。

3.頭に思い浮かんだ物が100%抽出できない、というのが困っている点でしょうか。脳内のイメージをそのままメモに転写できる新技術が生まれれば困ることはなくなるでしょうね。でもって、そのメモがクラウドに繋がっていると、攻殻機動隊の世界が出来上がります。が、まあ当面は大きな問題は感じていません。

あんまり関係ないけども 「【文章術】”絵”と”文章”を見比べて見えてくる文章上達法 | 旅するBusidea」を読んで

この違いは何だろう。鬼気迫る絵描きさんと、のほほんとして基本ばっかり大切にする文章書きのあいだには、どんな差があるんだろうと考えた。

それで、ひとつ思いついたのは、『習熟度の違いが一目見て判然としているかどうか』の違いじゃないかということ。

言いたいことは非常にわかるが、比較対象のバランスが悪い気がする。

文章を書く人でも鬼気迫り、頭を抱え、どこにも持って行きようがない絶望感を持っている人はすくなからずいる。それは当然、真剣に文章を書いている人達だ。真剣に文章が持つ可能性を追求している人達だ。
※そういう人達がすべて苦悩している、というわけではない。

習熟度の違いが一目見て分からないからこそ、真剣に文章を書く人はより大きな苦悩を抱えることになる。

ちょっと、想像してみよう。毎年毎年新人賞に応募して、微妙な所で受賞できないとする。寸評は良い。でも何かが足りないと言われる。で、「何か」って一体何なのか。自分の書いた文章と、新人賞を受賞した人の文章、の一体何が違うのだ、と。

こういった苦悩は、どうしてもつきまとう。それに表現活動に人生をかけようとするひとは、たいてい心に「穴」を抱えているから、その苦悩が持つ深さはより深刻だ。自殺した文学者と画家、果たしてどちらの数が多いだろうか。

あと、もう一点「初心者がかいてもいいこと言える文章」とあるが、平均的な日本人は(すばらしい教育制度のおかけで)日本語の初心者ではない。文字を左から右に書けばよい、ということもしっているし、文法も習うし、どんな言葉があるかも、どういう風に言葉を「並べ」ればよいのかも知っている。基本はばっちりできているのだ。それに対して、イラストは小中学ぐらいの授業でしか接する機会がない。大抵の人は初心者と言える。

もしも、私たちがイラストでコミュニケーションを取り、言語は芸術の時間にしか習わないという生物だとしたら、状況は大きく変わっているだろう。

行為としての本質は似ているかもしれないが、現状のスタートラインが二つの行為で違っているので、その点を加味した上で考察すべきなのではないか、と思う。

で、結局このエントリーは何が言いたいのかというと、特にはない。ただ、一応ここにも文章を書く人がいて、その人は全然余裕なんかなくて、ちょっと足を踏み外すと鬼気迫る方に落っこちかねないよ、ということは書いておこう。

ほんとに、難しいんだよ。これが。